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アイヌ文様の渦巻き模様(モレウ)の形が「隼人の盾」の文様とそっくりだった! |
隼人とは、かつて南九州から西九州、五島や甑島、種子島にかけて存在した原住民。5〜7世紀にかけて大和の侵略軍と長期にわたる激しい戦いを繰り返したが、日本武尊命伝承にあるように、おそらくはだまし討ちで滅ぼされた民族集団のことである。 隼人はまた、地名を取って熊襲とも呼ばれた。熊本県球磨郡のクマと鹿児島県曽於郡のソがくっついたのがその語源である。熊襲の里を標榜する球磨郡免田町教育委員会に聞いた話では、魏志倭人伝が伝える邪馬台国の対抗勢力だった狗奴国が熊襲らしいと考えられている。その大和軍との戦いで使われた1500年も昔の盾と、現代のペウレ・ウタリの本と類似しているのは何故だろうか。この本の文様をデザインした谷口滋氏に問い合わせてみた。谷口氏は、「この表紙の文様は、アイヌ文様のモレウの渦巻きを自由に描いたもので、隼人の盾などみたこともない」と言われる。盾の写真をお見せしたところ驚いておられた。
渦巻き文様はなにもアイヌや隼人だけのものでもなくて、ケルト文様を始め世界中の民族にある。これらの渦巻き文様の真実はそれぞれの渦はもともとひとつで、天と地の間に宿っているものを示すものだと感じる。
6世紀初めに書かれた記紀(古事記・日本書紀)には、九州南部に勢力を持っていた隼人と呼ばれる種族について書かれている。隼人はインドネシア・ポリネシアの民族と類似する点が見られることから、黒潮に乗って海を渡って来たのではないかと考えられている。
例をあげると、勇猛で知られた隼人の盾に描かれた逆S字の文様は、インドネシアの山岳地帯にある高床式住居の彩色彫刻の文様と酷似しており、盾の形もよく似ている。また、隼人の顔面への入墨の記述は、高砂族に残る入墨の風習に似通っている。
記紀に書かれた山幸彦と海幸彦の兄弟の物語で、失われた釣り針を求めて海の向こうにある国へ探しに行くくだりはインドネシア・ミクロネシアの諸島に伝えられている物語とそっくりみたい。
記紀では、隼人は海幸彦(兄)の子孫であり、天皇家は山幸彦(弟)の子孫であると書いています。
物語は古くから海洋民族が日本に居住していたことを伝えており、日本もこの海洋国家群のひとつであったことがわかる。
隼人の謎を解くことは、日本のルーツを知ることに繋がる。
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