個人主義のもとは競争社会

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個人主義のもとは競争社会

記事: 古山明男の教育論集 より

競争も、自分のことだけ考えるように仕向けるっている。

 教育が荒廃したのは、戦後の民主主義教育によって、個人のことしか考えない人間がたくさん育ったからだという説がある。だから、人権保障は最低限にとどめるべきであり、公共心や国を愛する心を法定してでも教えるべきだという主張である。

 しかし、個人のことしか考えなくなるのは、民主主義が原因とは思えない。

 近代民主主義は、個人の権利の主張を認める。しかし、これは「自分のことだけを要求していればいい」を意味しない。人権尊重は、他者の人権尊重も求めるからである。民主主義は、「みんなのことを考える社会」をいかに作るかのやり方でもある。民主主義は、公共性に行き着くものである。

 利己的な人たちを見ると、たいていは自分の身を守るのに精一杯であるか、目標に取り憑かれているかのどちらかである。

 学校で、生徒が身を守るのに精一杯になってしまうのは、教師が独善的か無能であるときである。また、生徒同士のわがまま、無思慮がまかり通るときである。いずれも、学校内の人権擁護システムが確立していないためである。

 目標に取り憑かれた人間を生み出すのは、賞罰によって目標を植えつける教育が原因になる。賞罰によって生徒を誘導するのは、「自分の利益だけ考えろ」と教育しているのと同じである。「目標に向けて頑張る」は「周りを見ない野心家になれ」の上品な言い換えでもある。

 競争も、自分のことだけ考えるように仕向ける。
 点数を競わせる教育は、「自分の成績さえ上がればいい」の強要ではないか。特に、入試による動機付けは、無意識のうちにも「自分の成績だけ気にする人間」を作っている。

 学校も官庁も会社も、実は「自分の成績だけ気にする人間」をうまく利用して成り立っているのではないだろうか。目標を与え、点数をつけていれば組織運営できるからである。しかし、このことが無意識になってしまい、「創造性がない」「責任感がない」などの弊害にだけ文句を言っている。
 学校でも企業でも、「自分の成績だけ気にする」をむき出しにする人間は少ない。しかし、その人間を動かす重要な動機付けになっている。

 社会が個人へと分解することは、むしろ、「万人が万人に対して狼である」競争経済の社会に由来するものだと思う。それを、民主主義のせいにするのは、ずいぶんと無理な論法ではないかと思う。


Copyright (c) 「古山明男の教育論集」, all rights reserved.

<記事提供> 古山明男の教育論集
http://www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym/
この記事は 【古山明男の教育論集】 より承諾を得て転載したものです。



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